VOGUE KOREA 3月号 インタビューPart2

2016年03月09日 13:16

Part1からの続きです
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意図しなかったけれど奨学会を設けているという事実はこのプログラムに信頼を与えます。俳優の芸能内側と外側が似たような結果というのは、いつでも取ることができる状況ではないですからね

奨学会は後輩を応援するのに時間と努力とお金を少し入れますよ。 事実そのような応援と助けは韓国にはないです。 ないと誰が何というものでもなくて、ないのを当然と感じたりもします。 だが、その程度の時間とお金と努力がこのようになくなってこそしようかと思う疑問がずっと強く残りました。
それなら、ない世の中で生きるのか、作り始めるだろうか。 当時私に重要な問題だったのです。 それでしようと、、しましたよ。(笑い)どれくらい震えたことか。
してみなかった仕事をするというのは本当に恐ろしいことです。 そのように8年の間多くの学生たちを見てきました。 これらの考えがどのように発展するのかも見てきましたよ。 簡単に言えば、 考えが未来で、行動です。 考えを尋ねるのは行動と未来を尋ねますよ。 よく教えるというのは考え方で行動と未来がどのように変わることができるのか、より良くなりえることを示すことです。

彼らが成長する姿で力を得たりもするでしょう?
彼らが大スターになったことではない。 それを望むこともありません。 ところが心が痛くて切ないです。
10年内にその友達がすべき仕事は転んで倒れてひざが崩れて鼻血出て病院に運ばれていきますよ。 疲れて倒れている時一回ぐらい起こすことができる先輩たちの集いであるわけです。 その時期私に誰かがそうしてくれたなら少しはそれほど骨を折らなかったし、応援するという事実がうれしかっただろうし、先輩たちも体験して過ぎたとのことに慰労されなかったかと思ったことであって、特別なことは一つもありません
“演技は難しいことではないです”と話すが、どんな意味でしたか?
演技を一度にしようとするので難しく見えるが、科学的な演技論を持つ国では1~2年目に容易でおもしろい方法を使います。 私もそのように習いましたし。 もちろん芸術性、勤勉誠実、体と心も全部必要だが不可能なことはありません。

演技を教えなければならないという考え自体はいつすることになったんですか?

学んでみたらこのような学習を一人で持ってはいけないと思いました。 一回ぐらいは学院を整えてお金を受け取ってする考えもしてみたがそのような私を自身がぞっとしたのです。
過酷な方法でで学んだが条件なしで最も多く分けることができる方法は何か。 数年がかかるだろうか。 およそ30年かかりそうだったんですよ。 無理になっても8年前に始めなければなりませんでした。 およそ七十才生きるくらいまで熱心に分けなければなりませんから。

誰かを教えるということも容易ではないのに、劇中のキャラクターでなく本人自体を見せなければなりませんから。 もちろんこの頃はそのように人気を得たりするけれども。 冒険に対する負担はなかったんですか?

こういうのは生まれて初めてですよ。 ところが何も考えてないんです。 人々が私をどのように見るのかに対して非常に無感覚です。 先天的にそうしたのに脆弱な人がいます。(笑い)
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3月末からはドラマ<町の弁護士チョ・ドゥルホ>で会う予定です。 最初から版権を購入したんですって。
作品を選ぶ時は主にどんなことを見て判断するのですか?


この話が必要とされているだろう、この話をすればおもしろい、意味もある、企画されれば多分私は出演する、このドラマが出てくれば私も見たい….

チョドゥルホというキャラクターを考えれば、視聴者たちは俳優パク・シニャンに期待する特別なバーがあるようです。 難しくて厳しい方法で弱者の方に立つ役割だといいましょうか。 特定イメージに固まるのが不便なことはありませんか?

あえて苦労し努力して不正の方に立つ人になりたくはありません。 私が見たがるのもそれは違ったようで。
5年くらい前からすでに親しく過ごした作家様と弁護士の話をしてみれば良いと意見を交わしていました。
そうするうちにチョドゥルホに会ったんです。 私と似ていたと言うが、それはよく分からないです。(笑い)

ウェプトーンで毎回異なる法条項を扱ったエピソードがスピーディーに繰り広げられるのが印象深かったが、どんな点が特に興味深かったんですか?

弁護士が出てくる映画に出演したことがあるが、法関連の話を扱う方式が固いのではないかと思いました。
固くなく、本質的な話をすることができると思います。 もちろん容易ではないでしょう。
ずばりメローするように法廷劇をしなければなりませんから。

ソン・ヘソン監督の次期作に妻を探しに出る夫役に出演する計画という便りもうれしかったです。 とにかく俳優パク・シニャンが演じる悪人を見ることははるかに遠いでしょうね。

そうだな、必要ならばしますね。 ところが必要自体があまり生じません。
俳優はどのような話をするためにこの役割、あの役割を果たすのにその話が悪の集団が地球を支配する話である場合は必要はないでしょう。
映画<ユリ>を見て衝撃を受けたのが昨日のことのようだがいつのまにか27年目俳優になりました。 演技や俳優に対する考えが変わったりしたんですか?

演技が利他的になりうるのかに対する自らの問いに結論を下しました。
誰でも初めには利己的に出発します。 だが、異口同音に話します。 視聴者たちの幸福、観客のためにだと。
演技を始める前から私をずっと困らせた質問です。
本当に人のためなのか、どんな方式で大切にしなければならないか等々.
ところでいくら考えても演技は本当に人々のためであるようなのです。 初めには信じることができなくて、捉えることもできなくて、理解するのが難しかったが、立派な先生等を見て確信することになりました。
先生に会うというのは単純に演技を学ぶのでなく生き方を学ぶのです。 恐ろしいことです、それが。

<俳優学校>に対する多様な反応の中で“私もあの授業を受けたい”ということがありました。 悲しいことに誰かを教えたり、誰かに学ぶのは互いに負担になっている世の中だからですね
事実私は特に先生になりたい考えはないです。 生徒たちと友人になること、それが楽しいのです。


そんなはずは!ものすごく恐ろしい先生だったんですよ?

違ったのではないと言うべきです。 誰でも欺くことができる職業であるから。 自分自身さえも。
俳優の友達関係というのは絶対容赦することができないいくつかのポイントが共有される関係のようです。
私は恐ろしい友達にもなりうるでしょう、多分。(笑い)




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VOGUE KOREA 3月号 インタビューPart 1

2016年03月09日 13:00

遅くなりましたが、雑誌「VOGUE KOREA」3月号に掲載されたシニャン氏のインタビューを紹介します。
翻訳機使用、意味不明な部分は調整したり意訳して訳しました。
かなり長いので、ふたつに分けてアップします。
シニャン氏のインタビュー記事って少ないのでVOGUEさんに感謝ですね~。(グラビアもすごく素敵)
シニャン氏自身の言葉が聞けるのが嬉しい^^
長文だけどシニャン氏の心境を覗きたくて必死で訳して読みましたよ~。
本人の語りはもちろん興味深く読みましたが、実は文中にある「ソン・ヘソン監督の次回作に出演・・・」のくだりに一番食いつきました(笑)
それにしてもシニャン氏ってどこまでも本物の俳優なんだなって思いますね。


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パク・シニャンが芸能<俳優学校>で演技先生’になるという消息を聞いた時、何ヶ月前の衣装監督チョサンギョンとのインタビューを思い出した。
いろいろとおしゃべりをしている中、忠武路(チュンムロ)で仕事をした10年の間チョサンギョンを刺激したただ二人の俳優に対する話が出てきた。
その中ひとりがパク・シニャンだった。
“<犯罪の再構成>の時共に食事したことがあります。
パク・シニャンさんがチャンホとチャンヒョクの一人二役をしたが、食事する間終始キャラクターの話をしました。 自分が考えるチャンホはこうだ、チャンヒョクはこうだ、二人はどのように違って、、などなど.。
その時や今も多くの俳優は衣装監督である私に服の話だけします。 それさえもしない場合が多いです。 私にキャラクターの話をそんなに真剣にした俳優は今でも彼が唯一です。”(それなら残りのひとりは? 俳優チェ・ミンシクだった。 私は<俳優学校>を見て一人でプッと笑った。 学生の中の一人であったユビョンジェが自己紹介時間にむやみにチェ・ミンシクの話を取り出したためだ。)
とにかく<俳優学校>を期待したいくつかの理由の中の一つはこの言葉が少なくともパク・シニャンの言葉と行動が一致するだろうという信頼、それに対する確証だったためだ。

チョサンギョンの‘証言’がなかったとしても、パク・シニャンが8年目設けている‘ファン(FUN)奨学会’の存在がこれを後押しする。
彼は奨学会というのは後輩を応援する微弱な方法だけであると謙遜した。
しかしこれは演技と俳優に対するパク・シニャンの信頼が凝縮された見慣れなくて新鮮な実践法だ。
才能に対してだけはファンタジーが真実になってしまう傾向がある。
‘持って生まれた’という話は平凡な人々が自らを非凡な世界から遮断して、隔離させて、逃げる用途で使われる。
特に‘持って生まれた演技力’という慣用句は俳優には最高の神話だ。 しかしパク・シニャンは初めから神話などは信じなかった。

彼は視聴者たちにメッセージを書いた。 “演技を学べば良くなることができると考える人がいるということがうれしかったです。 俳優がどんな訓練をすれば真の俳優になることができるのか教えたり、学ぼうとする人はそんなに多くありません。 世の中に映画やドラマや、俳優も無数に多いというのに…. だから一度もしてみなかった芸能番組の出演を決めました….”

初回、パク・シニャンの問答ナレーションはその間知る術がなかった彼の演技哲学要約からなる。
‘学ぶなら天真燗漫でなければならない’ ‘学ぶなら衝動の塊りでなければならない’ ‘その瞬間に生きていなければ演技などできない’等の‘パク・シニャン印の名言が放送を導く。

ところで珍しい現象は俳優志望生でもない視聴者たちが‘果敢に仕損じようというのを目標にしよう’というような激励の話を自分の状況に適用させるということだ。 師匠が消えた時代の指導者が切実な視聴者たち.
したがって‘演技未生’らが仕損じて、ひどい目にあって、学び、交感する<俳優学校>が‘師弟関係成長ドラマ’になる可能性は濃厚だ。 そうなるとパク・シニャンが今まで韓国俳優の地形図で占めてきた独特の位置、どんな俳優とも似ていず、どんな分類にも説明されることはできない固有なことはどんな色を帯びることになろうか?
もちろん“tvnにできるかも知らない演芸大賞で芸能部門新人賞を狙っている”という冗談半分なことがなされるならば申し分ないだろうという話だ。
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初回ユビョンジェ学生に“撮影しにきたのか、演技を習いにきたのか”と厳しい忠告をしました。 新鮮な混乱でした。 見る立場でも芸能とリアル ドキュメンタリーの間のどこなのか判断がつかなかったんですよ。

私の立場でも最も予測を許さない点は果たして演技を教えて学ぶということを芸能にできるのかでした。
方向性に対する根本的で漠然とした不安感はどんな映画やドラマより強かったです。
緊張感が感じられたところは先生が学生を追い詰める状況のためだけでない他の理由がありましたね。
この生徒とは一面識もなかったです。 演技を学ぶ、教えるというのは両方すべて率直な状況にならなければ全て嘘ですね。
撮影に入って選択しなければならなかったんですよ。 心より学び教えるか、学び教えるふりをするか。
そして私の選択は当然…


特に憂慮したことは何だったんですか?

製作スタッフと話をたくさん交わしました。 演技教育をするというのは思ったより深刻なことだ。 多くの人々が演技に対してそんなに深い自己検証、悩み、会議をしない。 だから質問の前では頭の中が白くなりえる。 ところでそのような状況が深刻にきましたよ。(笑い)

見る私も一緒にじわじわと脂汗が出ました。 なぜこの年になるのにいつも先生でなく学生に感情移入するのか分からないです(笑い)

明確に答えるのが重要ではなく、考えてみたことがなかったとか、質問が難しくても、率直な姿を見せるのが礼儀でしょう。 互いに演技を理解するところにありますので。 少なくとも率直な姿を見せたことが良かったです。 過程は難しかったが。
“良い先生に会って人生が変わった”とおっしゃいました。 先生に習ったことを思い返したりもしたと思いますが。
たくさん思い出します。 その方に会わなかったら奨学会を設けるつもりもなかったようです。 教えて学ぶというのが世の中で最もすばらしいことというのも知らなかったでしょう。 たぶんこのように話すことができるのも幸運かわかりません。 幸運児になるためにひどい経験をしたりしたが何も惜しいことはありません。 飢えて死んで、踊って死んで、大変で死ぬところでしたが。(笑い)

どの先生が最も多く思い出しましたか?

東国(トングク)大にアン・ミンス教授がおられました。
チェ・ミンシク先輩、ハン・ソッキュ先輩、コ・ヒョンジョン、キム・ヘス、チェ・シラ、ユ・ジュンサンまで全部弟子でしたよ。
アンミンス教授は本当に偉大な先生です。
(何年か前、彼はこのように話したことがある。 “私は恥ずかしさの多い学生だった。 演技が自身を表わすことなのに、‘食事されましたか?’のような言葉も言えなかった。 だが、舞台では私を率直に打ち明けたし、先生も愛情のこもった指導をしてくださった。 演技を学ぶのは技術でなく心を交わすのを学ぶとではないか。”)

演技先生に特に必要な特性はなんでしょうか?

撮影を終わらせて生徒らと話を交わしました。 大変だったか? 大変だったそうだよ。 何が大変だったか? ひたすら悩みに包まれて話します。 実は自分の演技に対してああしろこうしろと指示すると思ったそうです。 今まで先生が望むのを聞いたこともなくて、間違ったことに対してだけ数百万指摘するようだったんです。 私も会ったことがないわけではないが、そのような人々は先生でないと考えました。 さらに努力できる刺激を与える先生を尋ね歩きましたよ。 それでロシアまで行ったのです。 粘り強いです。
探せなかったとすれば帰ってこないつもりでしたか?
はい、それしかなかったです。 切実でした。 わかってくれる人もなかったし、信じることもなかったがそれが正確な理由でした。 人々はもっともらしく話そうと努めるんだな、と言ったけれども。(笑い)


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Part2に続きます。

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女性中央 インタビュー記事

2012年11月28日 05:07

韓国の雑誌「女性中央」12月号にシニャン氏のインタビュー記事が掲載されました。

翻訳機にかけたものですが、意味が通じない部分は勝手に意訳してます。
間違ってたらごめんなさい。

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パクシニャンの楽しい人生の旅









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「風の絵師」「銭の戦争」を演出したチャンテユPDはインタビューで、「パクシニャンはいつも爆発する活火山である。自分自身を直接打ち破るためにあちこちぶつかる・」と言ったことがある。
そのおかげなのか、俳優パクシニャンは今まで数多くのキャラクターを生み出した。
彼が生かしたキャラクターの残像がどれくらい強烈なのかといえば、映画「約束」でのあの場面が浮かび上がる。
聖堂でひざまずいて「あなたが私におまえの罪は何かと尋ねるならば、「この女性に会って、愛して・・・」
と言いながらさめざめと泣いたコン・サンドゥの姿。
「エギヤ、カジャ~」「あの男が私の男だ。あの男が私の恋人だ。と何故言えない?!」と叫んだ「パリの恋人」のハン・ギジュの声も依然として生々しい。

その後にも彼は「風の絵師」「銭の戦争」「サイン」で特有の存在感が光るキャクターを完成させてきた。
撮影環境と制作システムに対しても違うと思うときは、それを破るために色々な代案を提示した。
それで出てきた話を非難されたりもしたが・・パクシニャンチーム、パクシニャンキャンピングカー、アクティングディレクター、スターパクスコーヒーなどがそうだ。

またからかドラマの出演を決めるとき夜通し撮影はなるべくしないという事項を条件に掲げている。
最高のコンディションが最高の演技を作るという彼の持論が伺える大きな課題ではあるが、理想と現実の差を受け止めなければならないという指摘もされている。

どう言われようが、パクシニャンは彼が属する世界で独歩的なキャクターだ。
彼をみれば自身がすることに対する確信と自負心が感じられる。
おかげで彼は自他共に認めるプロフェッショナルだ。

何年か前からは自身の内面とノウハウを第2、第3のパクシニャンを夢見る学生たちに伝授し始めた。
「パクシニャンFUN奨学会」という名前で未来の芸術家を後援しているが、最近行なった‘画期的なショー’は
その奨学会に使われる奨学金を基金するための行事であった。


未来のアーティストのためのメントリン

最近、直接企画して演出した2番目のコンサート‘画期的なショー’でPSY(サイ)の「鳥」を披露したパクシニャンはあたかも水を得た魚のようだった。
彼が見せた舞台はサイの泣いていくほどきらびやかで画期的だった。
続けて、イ・ウォンジョン、キム・ヒョンボム、ハン・ガイン、パク・ジニなどの俳優が侮れない舞台を見せたし、奨学会の奨学生が整えた舞台も水準以上であった。
そのような渦中にショーのMCを務めたイ・ウォンジョンが彼に向かってこういう台詞を言った。
「子供たちを連れて通いながら奨学会を作るという時から知っていた。いったい何故そんなに特別に生きようとするのか?」
今回のインタビューでその問いに対する答えを聞くことにした。

‘奨学会’と‘FUN'という単語の組み合わせがちょっとぎこちないんですが、事実私も学校に通うときお金だけ与える奨学金を受けてみたことがあります。
時間が過ぎて気づきましたよ。
奨学金をやりとりする行為がこれよりさらにおもしろいはずじゃないか。
芸術奨学金はそうしたらいいだろう。奨学金を受ける人も与える人も楽しかったらいいだろう。
ここで面白いということはそのまま滑稽なこととは違いますね。
私は後輩らと本当にまともにFUNある出会いを分かち合いたかったです。
意味もあり真剣だが、それでいてFUN.
楽しくなければ意味がないではありませんか?

奨学会でパクシニャン氏はどんな仕事をしますか

私どもの奨学会のモットーが100個の芸術奨学金を作ることでありますが、容易なことではありません。
私が世の中にいなくても続く奨学会、また他の先輩たちが後輩を教えて引っ張る奨学会を作りたいが、今まさに開始段階にあります。
そこで私は好きな人に会って一緒にやろうと努力していて、またしっかりした基金を作るための色々な事業を構想して実行に移します。
足踏み段階にある奨学会なのでするべきしごとが多いが楽しいです。
最も重要だと考えるのは後輩らとどのように会わなければならないだろうか、良い指導者をどこでどのようにして探し出して後輩に紹介しょうかということです。
そのように習わなければならないですね。
私も導いて行きながらたくさん学びます。

何を教えて習うというのですか?
今までの分野で得たすべてのノウハウと努力したものなど全部教えるのです。

ところでご存知のように私自身が永らく学び努力してきたので分けるにも多少時間がかかりそうです。
渾身の力を出して育てて、さらに多くの人々と一緒に楽しい旅行をしたいです。

奨学生選抜基準というか、人を見る時、どのような点を見るのか気になります。
真実の人、熱心な人、素直な人、演技を他の人のために世の中を幸せにするために使おうと考える人が、本当に
真剣にこの仕事をしているのか?学ぼうとするのか?そして自分自身に対して知りたいのか?、、そんなことが重要なようです。

後輩を具体的にどのように助けることが出来ると考えるのか、基本的にアーティストを教育することが可能だと
見るんですか?


アーティストなので彼らに合う教育が当然必要です。
文を読んで書いて、、、そんなことも必要で、、。自身を正しく理解して感情をまともに伝達して話をしっかり
すること、正直になる方法、全部教育が必要だと考えます。
ただし個人に合う教育をするのは難しいでしょう。
それでアーティストを教育することが不可能だと感じられたりすることもあるでしょうが、必ず助けと教育が必要な職業がアーティストだと思います。
助ける方法は色々なものがあるでしょうが、つかる分野と関連した全てのことを共にしようとします。

練習、訓練、そして撮影など全ての日程だけでなく読書と考えも共にやろうとします。
登山も共にしてビールも一緒に飲みながら見せるんです。
絶えず話のやりとりをして、そしてこのように話します。
良いのがあるならばすぐ学び、良くないと考えるならば真似なければいい。
そのように一緒にしてみるとそうすれば習うことになるんです。

俳優になろうとする人々の最も大きい悩みは不確かな未来に対する不安ではないでしょうか?


‘俳優になることができるだろうか?’‘俳優になるなら成功することができるだろうか?’
このような悩みに対して先輩としてどんな答えを与えるでしょうか
私もやはり同じように悩みましたね。
ところがしたい仕事をして飢えて死んだ人がいるか?と考えてみた時、「いない」が私の答えでした。
もちろん成功することはとても難しいでしょう。
だが、誰かが答えを与えるものではないようです。
自ら考えなければならないようですね。

潜在力だけ信じるのではなく「この道でない」ということを早く悟る必要もないでしょうか

潜在力は練習なしでは何でもありません。
楽しいならば練習を継続して、継続してみたら実力が増すでしょう。
しかし楽しくなければ継続できないということではないでしょうか?
難しくても楽しいこともあるでしょう
大変でも継続したいほど楽しくていいならば、それは自分の道でしょう。
ない気がするならば、たぶん多く好んでいないこと。

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1、‘画期的なショー’を企画、演出したパクシニャンはこの日の舞台でPSY(サイ)の「鳥」を熱唱。
  サイのように破格的な舞台をリリースした。

2、俳優のコンサートに力を与えるために出演したユン・ドヒョン。
  ‘忘れるから’と‘蝶’を歌って公演会場を熱い雰囲気にした。

3、パク・ジニは‘ヘイ、ヘイ、ヘイ’を歌ってロッカー本能を発揮した。

4、バラードの‘その男’を歌ったハン・ガインは水準級の歌唱力で風変わりな魅力を誇った。



私の人生のターニングポイント


今は自身の考えと知りうることを分けて数多くの後輩の指導者となっているが、バスの乗車賃がなく歩いて通った時期の悲しい記憶が彼にもある。
東国大演劇映画科在学時代、会費3万ウォンがなくてMTに行けなかったこともあって、、卒業後ロシア、シェープキン大学に留学するときは登録料がなくて休学したこともある。
29才の時まで彼はわずかなお金10ウォンも儲けたkとがない貧しい青春だった。

だが、当時でも俳優になるという確実な夢を抱いた彼は「指導者がいれば本当にいいだろう」という考えを度々した。

人生のどの時点で俳優が私の仕事だという確信ができたんですか

大学1年の時、俳優になりたいと思った後10年の間痛く悩んで考えて努力したときのようです。
行きながら必ず成し遂げなければならないことは何だろうか?
本当に長時間悩みました。
でも、いくら考えても演技をしなければならなかったんですよ。
その後は悩みも疑いもなしでずっときたようですね。

‘私の人生のターニングポイント’はいつだったのですか

高校を卒業して演劇映画科に入った時、ロシア留学、、、そして私を韓国に呼び戻した初めての映画、等など。。
ふぅ~~何度もありましたね(笑)

ロシア留学時期に起きた演技観の変化のようなものはあるでしょうか


演技観という話がよくわからなくて学校の授業中に発表したことがありません。
本当に最善を尽くして真剣にした先生が「すぐあそこで芸術が始まる」として途方もない賞賛をくれましたよ。特に「演技というのはこのようにする」とスキルやそんなことを話すわけにはいかないが、嘘をつかいないということ、振りをしないということ・・・。
よくわからないでしょうね(笑)
そのときはあまりにも荷が重かったし習わなければならないという考えから何でも吸い込んだようで。。いつも変化があったようです。

ドラマ・映画・公演などのプロジェクトで自分の役割がどこまでだと考えるのですか

私の役割だと、、、初めてと今は大いに違います。
コンサートでは私は俳優でもあり演出もします。
映画を撮るときは、私も演技も演技(で大事)だが、劇が上手く流れるように色々な意見を出して、また他の出演者とも真剣な話をたくさんします。
役割というのを限定して説明できませんね。
演出者が俳優にどんな方法を要求するとき、一番見通しが暗いのが曖昧な単語と感じだけを話すとき。

プロジェクト作業中に論争が広がった時の解決法は持っていますか、じっくり聞きます。
どんな考えを持っているのですか
 
 

何かがあったとき普通誰と相談するんですか?
メンター気になります。私が当面の状況に合うように人々を訪ね歩いていつも習います。
専門家に学んだり本の中に答えを得ることもあったり。
助けてくださる方々が結構いて本当に幸運だと思うことがしばしばあります。

仕事の他に人生を豊かにするために何をもっとするんですか
人に会うのを持続的にします。
人に会うとき新しい刺激を受けて視野が開かれますね。
奨学生とも時間を過ごそうと努力していて奨学事業も私の人生を豊かにしています。
そして旅行。。
普段旅行と登山を楽しむこと、それを通じて発見して得るのは何ですか
最近コンサートを一緒にやる友人らと近くの山に登りました。
また友人が住む田舎にもしばしば行くほうなのに、これまで忙しいと忘れて過ごした多くのことを考えて思い浮かべるでしょう。
そして再びそのことを実行に移して。
旅行は休息であり出会いでもあります。

パクシニャンといえば浮かび上がる、原則主義、模範生、、、このような修飾語は気に入りますか

私がそうするのですか?(笑)
そのようにしているつもりはないが人々がそのように見るのならそうでしょう?
気に入る気に入らないで実際考えてみたことはないが、、、でも私はそうだろうか?(笑)

「このような人になりたい」と目指す像はあるのか

私自身に恥ずかしくない人でいたくて、いつも切実に何かしようと努力します。
私の座右の銘は「最善を尽くそう。そして死ぬとき恥じることがないようにしよう」です。
私は私に恥ずかしくなく他の人によい影響を与えるようになりたいです。


いつか一度彼が自分の人生の目標ついて話したことがある。
死ぬときに後悔しない。そして死ぬとき「なかなかいい人生だった」という言葉を残したいと。

ドラマを選択するときも、誰かが「それをやって死んでも後悔しないか?」と尋ねたとき、「OK!後悔しない」という気がするとき初めて出演を決心するという彼は、それだけ人生を送る方法が明確だ。
彼がするすべてのことで素晴らしさと馬鹿ヂカラを同時に感じる理由でもある。

人生を真剣に。。

それと共に楽しく暮らすこと、それがパクシニャンスタイルだ。










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SIFE KOREA スペシャルインタビュー

2012年09月30日 01:02

少し前にサイフコリアの国内大会で名誉大使任命授与式に出席したシニャン氏をご紹介しましたが、つい先日
サイフコリアのHPにインタビュー記事が掲載されたようです。
翻訳機にかけたものをご紹介しますね。
(韓国のフォロワーさんに教えていただきました。ありがとうございました)
インタビューの内容も素晴らしいですが、知的なシニャン氏の写真がとても素敵ですね~(そっち?笑)


Special Interview_パクシニャンFUN奨学会パク・シニャン代表

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Posted by admin in SIFE Korea News Letter on 25 Sep 2012


“画期的な社会的俳優. パク・シニャンに会う。”




どんな契機でサイフと縁を結ぶことになったのですか?


とても幼い時ある映画を見てこういうことを考えました。
“世の中にあんな美しくて、美しい感じがある…”そうするうちにしばらく歳月が流れた後に私はそんなことを作り出す仕事をすることになりました。
そして日々人生と人に対してもやはりそのように考えて、そのような人々とそんなことをしながらそのような人生旅行をすると目標をたてることになりました。

パク・シニャンFUN奨学会もこのような出発でした。
始めるのに先立ち10年の間考えたし、数年の間多くの努力をしてきたし、本当に多くの方々に説明して、また、本当に多くの方々の助けを受けています。
今年は偶然にチョン・チンホ社長とユン・ヨンガク会長様を尋ねることができる機会があったのですが、お二人が推進するMYSCについて知るようになったし、ヨーロッパ パートナーであるグループSOS。米国パートナーであるアショーカ財団も会ってみる幸運がありました。
永らく私の行って考えていた日ウルハは人々、それもとても永らく成功裏に進めてきた人々に会ったのは、私にとって今年最高の喜びではなかったかと考えます。
そしてその縁を通じてサイプを知るようになったし、本当に会ってみたい! という考えから今回の国内大会に参加することになりました。



サイフ国内大会を見た所感を聞きたいです。

率直にとても驚きました。
このような若者たちがいるということが感動だということすら感じました。
あまりにも立派な考えを持つ若者が多いということが私に未来に対する期待感を与えて心が持ち上がったりもしたんです。
サイプ学生たちを見ながら、お話にならないくらい賢くて進取的な青年たちといいましょうか?
それでわが国の明るい未来の責任を負うほどのそのような若者たちだと考えました。
事実、何年か前からパクシニャン奨学会をどのように組織化するのかに対して深く悩んでいるところです。
悩みに対する答えを得るために子供財団と同じ所に訪ねて行って限度終わりもなしで尋ねて答を救って通っています。

今回のサイフ国内大会を見ながらもどのように学生たちがこのような大会を作り出すのかがあまりにも気になりました。
そしてパクシニャンFUN奨学会がどのように進むべきかもに対してもたくさん考えるようにしました。
事実、今日のこの席は私がサイプをインタビューする席です(笑い).
今日サイフと対話をやり取りして多くのことを貰っていきたいです。



どんな契機でパク・シニャンFUN奨学会を設立することになったんですか?


演技でどのように良いことができるのか? に対する悩みを本当にたくさんしてきました。
単純に聞こえるかも知れないが、私はこの‘演技で良い仕事をする’という考えを実践しなければならないと堅く信じて、念を押して、努力してきました。
そして次第にそのことを他の人らと共に共有して共に何かしたいと考えることになりました。
生まれつき演技というものは遠い昔から人々をうれしくするために作られたものと考えるんですが、私もこのような考えから出発して、私がある映画を見て感じた良い感情、そして演技から始まった肯定的な変化を他の人に伝達したいのです。
それでドラマや映画、作品を選択する時にもこれを見た人々にどんな影響を及ぼすのかに対しても常に悩んでいます。

パク・シニャンFUN奨学会もこのような考えの延長線上から出発しました。
若い時期、演技勉強をしながら、我が国で良い俳優、良い作家になることが本当に簡単でないとの考えが多く入りました。
もちろんどんな道も容易ではありませんが。 行く道がどこなのか、何が重要なのか、実際にどんなものなのか知って始めたらより多くの良い演技者が出てくることができたのにとの物足りなさが本当に大きかったし、誰かが彼らを助けなければなければならないと考えたことでしょう。
先輩演技者の立場に立つことになると自然にその考えを実践に移すことになりました。

十年を悩んで研究して‘その時の私とともに’助けが必要な友人を‘体系的に、単純な先生に終わらない、人生の先輩であり同僚であり友人で助けたい、あるいはそのようなことが出来る良い人々をたくさん会えるように助けたい’という心を十年の間磨きあげたことでしょう。
二題やっと開始で今後100個の芸術奨学金とそれを維持できるシステムを築いてより多くの後輩を助けたいです。 必ずやり遂げるし、するべきだと考えます。

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パク・シニャンFUN奨学会の最も大きい特徴の中の一つであるメントリンプログラムを考えた特別な理由は何ですか?


メントリンが必要で奨学会を作らなければならない考えました。
奨学金の支給ももちろん重要ですが。 事実はメントリンが奨学金の支給よりさらに重要です。
そうしてこそ、倒れていく演技者、劇作芸術家にあらかじめ希望と勇気を与えることができて、倒れれば簡単に立て起こすこともできます。

芸術は人から習わなければなりません。 私たちが知って始める場合と知らずに始める場合、始める時には差が別に出ないかも知れないがますますその格差が広がることを経験を通じて分かったし、そのような差を減らすことができる最も確実な方法がすぐに担いだトゥリングだと考えます。
メントリンが難しいならば‘出会い’といってもかまわなそうです。
今の私に最も必要なことだと考えられます。



サイプ プロジェクトと同じようにパク・シニャンFUN奨学会もまた、絶えず対象者に動機を付与してエンパワーメントをさせるようです。 パク・シニャンFUN奨学会を通じてどのように学生たちにこのような価値を伝達するのか聞きたいです。



後輩にも私が歩いてきた長く暗いトンネルをすぎるようにするのは正しくないと考えます。
それでこのような過程を助けられるようにメントリンプログラムを提供して、奨学会学生たちに出てきて100人のメントリングループの全てのものをオープンして共有し見せてくれることによって、自然に学生たちが学習を得ることができるようにしています。
奨学会学生たちを撮影場に連れていって実際の作業現場を見せて、色々な意味ある席に真の昔時するのに見聞を広げて多くの対話を一緒にするならばいつのまにかこれらが大きく成長したのを見ることができます。
良い人を見て共に時間を過ごしてみるならば、当然良い影響を受けるはずです。 そしてこれのために良い人々を多く集めておいて、これらを通じて学習の機会と価値の拡散を通してすることが最も重要なことだと考えます。



パク・シニャン代表様が考える社会的責任というのはどんなものでしょうか?

人が人間らしく生きられるように助けなければならない責任.
私が他人から受けた助けで悟ることになったものなどを必要なみんなに分けなければならない責任だと考えます。
そのようにますます良い社会を作り出すんです。 共に。 ‘より良くさせるという意志’がより良い世の中を作り出すと考えます。 偶然と自ずからがないです。



代表様が人生で最も重要だと考える価値は何ですか?


愛と尊重、そして家族。
ここで家族は広い範囲での奨学会家族らと支持してくれるすべての方だと話したいですね。
情熱と肯定、最善、後悔なしで生きること、喜び、容器、ウン ウォン、配慮、親切、楽しく生きること、楽しく旅行すること、後悔なしに生きること、死ぬ時‘大丈夫だったよ!’と話せること



このような悩みは現在の大韓民国のすべての若者たちが抱いている悩みだと考えます。
多くの場合‘したい仕事をしなければならない!’で決める瞬間、常に周辺の人は‘飢えて死ぬだろう’、‘金儲けできないだろう’という背後の脅迫でない脅迫を植えておきます。
実際にしたい仕事をして飢えて死ぬ場合は殆どないのにですね。
願わない仕事をして飢えて死ぬ場合があるかも分からないです。

私の場合も同じでした。 演技をしなければならないと決心した時、飢えて死ぬという周囲の心配と脅迫に‘そうだ、飢えて死んで、死んでも一度やってみようときつく決心して突進してきました。
そのように決心して韓国で大学を卒業した後にも演技を深く習うためにロシアで大学院や大学校の学部生の身分で色々な大学を移して通って勉強してまい進しましたし。

若さというのは十分にそのようなことが出来る時期です。
若くて一度ぐらいは死んでも良いと考えることができることを行う自由が与えられます。
好んですることを追ってして下さい。
たとえ倒れても若さというのは倒れてもかまわない特権を持つ時期ですからね.



サイプフコリア名誉大使で学生たちと共に進めてみたい活動や計画があったのですか?


同じ方向を追求する団体であるだけに、多くのことを共に進めてお互いの考えを共有して分けたいです。
奨学生らと奨学会メンバー様と共にエムティに行くのも良いと思いますね。
2泊3日ぐらい登山とキャンプのような活動を一緒にしながらです…そのように時間を共に送ればお互いをさらに多く知るようになってまた、とても良い思い出を作ることができるでしょう?
また、私たちの奨学会の集いに招いて私たちがどんなことをしているのかも見せてあげたいですね。
10月27日に行われるパク・シニャンFUN奨学会のコンサートにも多くのサイフの皆さんが参加してくれたら良いです。
(パク・シニャンFUN奨学会は奨学事業のための募金活動の一環で10月27日にコンサートを進めることになる。 パク・シニャン代表とパク・シニャンFUN奨学会に参加するハン・ガイン、オム・ジウォン、パク・ジニ、イ・ウォンジョン、ユン・トヒョンバンド、クラインノット、ウララセッションなどが共に舞台をリリースする予定だ。) 私たちのハムに考えてみます! 良いアイディアあればいつでも話して下さい。 (笑い)

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人生の先輩からサイフの学生たちに助言一言お願いします。

良くて死にそうなことならば必ずして、少し難しくても最後までやり遂げて下さい。
必ず山を越えることができます。 大学で習うことを得る過程で、そして大学を卒業して何か仕事をすることになるその時期が本当に難しいということをよく知っています。

私もまた二十才の時から俳優で仕事をすることになった二十九まで同じ悩みを絶えず繰り返したし、このような悩みが今の私があるようにしたと考えます。
このような若さの時期をよく克服した人々はますます丈夫に成長することができるようになることで、そうでないまま時間を浪費することになればそれ以後の10年、20年は期待するのが難しくなるんです。

なので大変でも問題に正面から直面して、突破するのを恐れないで下さい。 別段のことはないです。
いくら苦労しても、死なないということです。
ところでその道を歩くのをとても恐れたあげく何もできないまま恐れだけ育てていく若者たちが多いようです。
学校ではなぜ‘何をしたいのか’、‘人生で何を望むのか’に対して学生たちに尋ねることもせず、答えられるように教えることもないのかわかりません.
その質問に対する人を丈夫にさせます。 ‘したいこと’に対して悩まないで、答えを得ることができなかったとすれば、今後出て行く準備ができないのです。
演技をやろうが、何か物事をやろろうが同じことです。

絶えず自身に尋ねて、答えを探すために躊躇せずに正面突破して下さい!
ところですでにサイフの学生たちはそういうのを知っていそうですね。 (笑い)








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「女性朝鮮」インタビュー記事No.2

2012年01月13日 20:18

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「女性朝鮮」1月号に掲載された、パクシニャン氏のインタビュー記事です。

いつものように翻訳機にかけて翻訳した文章ですが、意味不明なところは、前後の文章や内容から考えて私が
意訳しています。でもハングルはわからないので雰囲気で訳してます。
細かいツッコミは無しでお願いします。お許しを~。

今回のインタビュアーの方は、シニャン氏がフランス旅行中にカカオトークでインタビューを受けた時の記者さんと同じ方のようですね。

長いインタビュー記事ですが、シニャンssiの最近を知ることが出来る興味深い内容の記事なので
頑張って読んでくださいね~。













100個の夢を持ったパクシニャン
カフェ"HOUSE 166"で会った

女性朝鮮2012.01.12


年末コンサートの準備に真っ最中の俳優パクシニャンを訪れた。

カカオト-クインタビューをしながら約束した出会いだ。

それにもかかわらず、指で打つ百の言葉より顔を見て交わす会話がずっといい。

奨学会事業にどっぷり浸かっている俳優パクシニャンの日常と夢がよくわかる。

彼が難しい人だということ。
インタビューが苦手で、作品をしていない時はマスコミへの露出をほとんどしない人だということも。
顔をとても隠して、個人的な話を持ち出すのを喜ばないという事実もよく知っている。
そしてもう一つ、これが(彼の)全てではないというのもわかる。

彼が、意外に面白いシリアスの中にユーモアを持った男だということを。

旅と人が好きで、ワインやコーヒー、歌が好きな愉快なロマンチストという事実も。

俳優の価値を誰よりもよく分かるので、自分と同じ道を歩こうとしている後輩たちのための奨学会を設立した人。

Twitterで人々とコミュニケーションすることが好きで、どうすれば楽しく生きられるのかいつも悩んでいる人なのも俳優パクシニャンだ。

Twitterで見られるこの頃、彼の日常は少し面白く見える。

若いロックバンド友達(POE)と公演をしてから、奨学生を募集すると公告を出したが、
他の日には"イソラの二回目のプロポーズ >にも出演し、またある日には仲間たちとワインパーティを繰り広げたりもする。

最近では、12月30日と31日に行われるコンサートの準備に余念がないと言う。

一緒に舞台に上がる俳優オムジウォン、イウォンジョンさんと練習している現場を公開した。

2カ月前カカオトークインタビューの中で、彼のカフェを見つけると約束した事実が浮上した。

問題は彼が余りにも忙しいということ。

この頃は、練習室に通って過ごしているから時間をとることが難しいという。

歌手ではなく俳優がコンサートを準備するのに準備することが多すぎるとしている。
しかし、その瞬間でなければ絶対できないことがある。

2011年が去る前に、彼の年末公演の前に、彼とのカカオトークインタビューの余韻が消える前に彼に会って話を交わしたいと思った。
彼を促して、本人が運営するカフェ"HOUSE 166"で会おうという連絡を受けた。



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カカオトークインタビューの後の最初の出会い
< ミスGoプロジェクト >特別出演終わらせてコンサートの練習


冷たい冬の朝、コーヒーを先に飲んで始めようという。 今しがた煎れたコーヒーを飲んで気持ち良く始めた出会い.
やぼったいながらも抜け目のなさそうなマグカップが可愛くてしばらく眺めてみたら、鉛筆でさっさっと書いた彼のサインが見える。
固有番号まで付き、彼が直接作ったカップだ。
言葉だけで聞いたこの空間に入ってくる瞬間から、記者には引越し祝いのお客さんみたいに不思議なことだらけだ。

家具、椅子、照明、小物、メニューなどすべてに彼の跡がついている。

私達の共通の話題、カカオトークインタビューからいくつか挙げて開始することにする。
そのおかげで成り立った出会いだから。


"いや、私をどう思っておられるの。どのように古いものだと、それを覚えていないけどよろしいですか。
当然知っていますか!"

しまった、私たちはかなり多くの話を交わしたの間だという事実を忘れてしまった。
彼の言うようたくさんおしゃべりをしたことがどれだけ古いことか。
"はじめまして"という最初のあいさつからが間違っていた。"あ、量が多すぎて長い時間の間、小説を書くと思っていたよね(笑)"
話をしながら携帯電話をスーと取り出してあげると、彼が以前話していたブラックベリーの製品ではない。
電話変えたんですかと聞くと、ニヤリと笑ってこっそりポケットの中に入ったブラックベリーを見せる。

奨学会の友達と、すべての意思疎通をブラックベリーでするのにバッテリーの寿命が短すぎて通常の電話用と二つを交互に使わなければならないと。

映画"ミスGOプロジェクト"の撮影は良いですがと聞くと


「すでに終えた。分量が多くない特別出演だからすぐに終わった」という。

最近の話題はなんと言ってもコンサートだ。
1日8時間以上をひっそりとコンサートの練習だけにオールインしているが、それはすでに二、三ヶ月になっている。

コンサートの練習にどっぷり浸かっているという事実を立証でもするように、カフェの音楽が変わるたびに、彼の体が自動的に反応している。

アップテンポのジャズが出てくるテンポに合わせて首を前後に動かしてすぐにリズムに乗る。


"最近は音楽が流れてくれば体が先に反応をするからね(笑)"



パクシニャンFUN奨学会のためのスペース、HOUSE 166 の内装からメニュー、小物まですべて'パクシニャンのスタイル"

"うーん、おいしい。サンドイッチ食べてみて、このパンに関連した話がありますが。私はバゲットが好きです。
わが国で一番おいしいバゲットを搜索しようと多くの所に直接通いました。
そうするうちに、方背洞(バンベドン)に作業室がある某シェフ様を知ることになりました。
最高のバゲットです。
その方が毎朝バゲットを提供してくださいます。この価格でこれほどクオリティのバゲットを味わうことができるのは、おそらくここ、"HOUSE 166"しかないんです"



このように淡々と正確な説明があるだろうか。
彼の説明を聞いて食べたサンドイッチの味は本当に"まとも"だった。

"HOUSE 166"のメニューは、美食家として知られている彼が好きで、彼の基準に合う食べ物で構成されている。
コーヒーとワインもそのように設けられたものである。


"前回、奨学会の友人たちのために作った空間だと申し上げたのを記憶されているでしょう?
2011年にした仕事の中で最も上手なことが、まさにこの空間を作ったことです。

まず、奨学会の友人たちが集まって話すことができる空間ができたのが良くて、収益金は、奨学会に寄付されるのでやりがいもあります。
私が整えた空間なので愛着もある。祖母の家のように快適な空間です。



"にぎやかな大学街から少し離れたところにある"HOUSE 166"は、3階建ての個人住宅を改造したところだ。
知っている人々の間で、"パクシニャンのレストラン"や"パクシニャンカフェ"として知られているところ。
彼の好みで飾られた室内で、外国のファンの訪問も多い。


"ここの全ての家具は私が直接作ったんです。今使っているカップもそうだし。電球も私がつけましたよ。
配管を活用して飾ってみました。アイデアは海外旅行して得ることも、そうです。

来週はクリスマスの飾り付けをするんです"



演劇映画科でなければ建築学科に行きたいと思ったこと、彼の趣味も家具の制作だ。
家のすべての家具を自分で作るほどの水準の実力を持つ。

おかげで彼がいてもいなくても、カフェのあちこちで彼の痕跡を感じることができる。
彼の手を経た小物一つ一つを見物する面白味もかなりよい。
インターネットで話題となった"スターパックス"カップも見られる。


"これがたくさん紹介されたでしょう?出てから1年ぐらいになったようです。"サイン"の撮影中だったから。
撮影すると一晩中明かす場合が多いでしょう?
その時はトレーラーにいたり原野にいたりします。
コーヒーが好きで、コーヒーメーカーを持って通うから自然に現場にいるスタッフたちに分けて与えることになるんですよ。ところが、時間が経つにつれてみると、カップがあまりにもブサイクなんです。
気持ちが入らないみたいで。。"気持ちのよいカップを用意しよう。"と したんです。
最初は地味だから変だったんですよ。
それで"ここに何かをちょっと入れてみよう。" と、奨学会からデザインする友人たちがアイデアを出して誕生したのです。


"きちんとゆっくりと、そして正確に。
パクシニャンの話法を定義しようとするなら、本人が話そうとする内容を
最大限論理的に完成させるということだ。
カップ一つにからまったストーリーもこのように正確に知らせてくれる親切さの持ち主。

完璧さを追求する彼の演技のスタイルは、普段の姿にも現れていた。


この"スターパックス"のカップも最初は、
ただ(自分の)写真だけだったが、どうせやるならきちんとしようと思って、王冠も入れてくれと注文したんだ。



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-カフェ"House 166"は、個人宅を改造したところで、入った瞬間快適さを感じることができる。
パクシニャンが直接デザインしたテーブルと椅子、照明など、すみずみに彼の真心が込められた空間。






12月30日~31日のActor 's Concerto を構想し、また構想した「俳優たちのコンサート」

奨学会の仕事を始め、彼は毎年12月にコンサートを開いてきた。

建築家ヤン・ジンソクと一緒に行なった昨年のコンサートでは、娘のスンチェと一緒に舞台に上がって
話題になった。
そのコンサートは、2011年も続く。

12月30日と31日、COEXで開かれる今回の公演は、俳優たちのコンサートだ。
同じ時間、隣ではシンスンフンとパクチニョンのコンサートがある。
歌手の公演との比較をするには無理があるが、彼には自信がある。

カフェを作成するときにそうであったように、コンサートの準備もアイデアも企画から交渉、出演、監督、マーケティング、広報まですべての過程を総括し、最善を尽くしている。


"私が実践に移すことは10年も思うような結果にすることです。
奨学会でも、コンサートでも同じですよ。今年からは俳優らのコンサート形式で毎年公演する予定です。
これから私たちの奨学生たちが俳優として成功すれば、彼らがまた舞台にのぼってコンサートを作っていくのですが、今年はドラマ"サイン"を一緒にしたオムジウォン、イウォンジョン、ワンビンナ、キムヒョンボムさん、フォー(POE)と一緒に出ています。

"クリスマスも舞台の上で過ごしたんだ。"公演ゲストに出て行くんです。私は実際には外界から来たんですよ。
あの~側からです(笑)そのような星から来た友人たちに会いました。
"フォー(POE)"と、音楽をしている友達ですが、初めて会う瞬間通じました。
その友人たちの公演にゲストで出て行く計画です。



"彼は最近、このように生きている。多くの人々と疎通して、
若い友人たちにエネルギーを得ながらだ。

奨学会の仕事は、自分自身をぐっとつかもうとする心と責任感、義務感を土台にしていく。
多くの奨学会のメンバーらが鋭い目を持って見守るためにぞんざいにする仕事がない。
今は小さいことも一人で決めることができない。


"好きなこと、具体的な夢を持っていた。
それのために着実に努力したが、やっと実が結ばれるようです。
永らく夢みれば必ず叶うと私は信じます。

"俳優のコンサート"は2011年を皮切りに、30年の間続くのです。あとでは多くの俳優たちが出演して一、二曲ずつ歌うコンサートを考えています"




100個の奨学金作ることが目標最後の夢は舞台上の葬式


100個の奨学金を作ることを目指して最後の夢は舞台の上の葬儀だという彼がそう懸命にコンサートに邁進している中心には、"FUN奨学会"がある。

"10年前からそのような考えをしました。
なぜ私の周辺には演技専攻者たちが珍しいのか?
私は10年勉強して15年ほどの現場で働いていたようだが、本物の演技生活を今開始したと思います。
その前は、多くの質問をしなければならず、真心のある諮問を受けなければなりません。
私が初めて演技を始めた時はそんな先輩を見つけるのが大変でした。
悩みが生じても先輩を訪ねて"このような質問があります"と尋ねるのが難しかったです。

今後20~30年くらい後に、私が演技する後輩にしてあげられる事が何なのか悩みました。
諮問が必要なときに助けを与えることができる人々を作ればと思いました。
それを3年前に実践に移し、直接オーディションをして東国大、ソウル芸大の演技を専攻する学生を対象に奨学生を選んで始めたのです"


なんでも10年以上ずつは考えている彼は、コンサートを準備し、自分の葬式を考えもする。

"30~40年後、私は今以上の演技をしていないんです。出来れば幸いだが、おそらくできないです。
そして、死ぬことになると思います。紛れもない事実です。
自分の葬儀は、このコンサートだったらいいですね。そして、葬儀での資金を用意して奨学金がもう一つできたらいいですね。韓国初の葬儀のコンサートにする人になりたいです。


"既知の通り、彼はロシアで演技を勉強した。昨年、彼の恩師の一人が亡くなった。
「急にロシアに行ったのですが、師匠の葬儀のシーンが衝撃的だった。」
劇場で葬儀が行われており、近くで過ごしてきた人々が師匠の額にキスをしたり、彼の手を握って哀悼の意を告げたそうだ。拍手しながら彼の最後の席を見守る祝いの客たち。
パクシニャンには、カーテンコールが降りてきた時の観客の反応のように見えた。
とても見慣れない衝撃的な場面だった。
そして、再度考えていた。韓国のお葬式はとても悲しくても、もっともらしくなかったと。
俳優たちは同じようにするべきだというのが彼の考えだ。



"後にこの世を去るとき、私たちの俳優らがみな来て歌を歌ってくれたらいいですね。
葬儀をこのコンサートにしたいです。あまりにも真剣に悲しまないでください。
喜んで、楽しく暮らしていた頃を思い出しながらがいいです。"





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2012年には新しい映画とドラマで
お目見えするだろう
一生で100個の作品に出演したくて


、彼は'100'という数字が好きだ。
100個の奨学金を作って、カフェも100号まで出すことが目標だ。
演技者として、死ぬまでに100個の作品に出演したいという願望も持っている。



"欲張ったことを言えば、100本の映画とドラマに出演したいです。努力をたくさんしなければならないようです。どれくらいもっとするのか、100個を満たすかどうか分からないが、目標をそのようにしておけば怠惰にできないようです。
奨学金の100本も"絶対に怠惰にしないようにしよう。可能であれば100個を突破しよう。1,000個になるまで一緒にしよう"という気持ちで掴んだ目標です。


"そろそろ話を終えて、2012年1月号紙面にふさわしい話を交わそうと言った。

まず、2011年を振り返って。
"

いつもそうだったように、本当に忙しくて多くの仕事をしてきました。
急に振り返ってみようとすれば何の仕事をしてきたか浮かばないね(笑)

考えている多くのことをしようとしました。多くのことは成し遂げ、また、あることは成し遂げられませんでした。
最もうまく出来たことは奨学会のメンバーが常に集まれるように空間を用意したこと。
念願の事業だったんですよ。
そして、滞りなく俳優たちのコンサートを準備し、今では数日残っているが実行に移すこと。
"サイン"をよく仕上げしており、来年のための新しい映画を準備していて。

私は最善を尽くして生きるのがいいと思うんです。
最善を尽くして楽しさを持てたらいいですね"



次に、本当に最後の質問。2012年の計画は?

"来年も間違いなく奨学会を一、二個より新設する予定です。
いつもそうだったように最善を尽くし、旅行にもたくさん行くんです。
新たなドラマと映画も撮影することになると思います。
年末のコンサートは全国ツアーをするんです。



"久しぶりに5年前に使っていたメガネを取り出して使ったらぎこちなくて目が痛いと頻繁に眼鏡をいじりたてた。

このメガネを最初にかけたとき、彼は今の姿を想像して奨学会の絵を描いていたのかもしれない。

彼が本気で願うことは、本人が生きていたよりも次の世代がよりよく暮らしてほしいということだ。

5年後の今頃には、100個の奨学金と、さらに多くの奨学生たちでコンサートの時間が不足するという可愛い不満を漏らしているかも知れない。

そして、また5年の時間が経てば一人でこう叫んでいるようだ。



"まあ、私は良かった。楽しかったよ。この旅は楽しかったよ"と。

パクシニャンコンサートActor 's Concertoは、俳優パクシニャンの人生、映画、ドラマ、愛などの率直な話を
甘美な彼の声で聞くことができる機会。

映画<約束>の挿入曲"Good bye"、ドラマ"銭の戦争"の主題歌"Simple life"、ドラマ"パリの恋人"に出てきた"愛しても良いでしょうか"を含め、"She"など、普段パクシニャンが大切にする愛唱曲を彼が直接歌う。

イウォンジョン、オムジウォン、キムヒョンボム、ワンビンナが出演して、それぞれの個性に合わせて多様な舞台を披露して楽しさと笑いを加える時間になるようだ。

期間2011年12月30日〜31日時間12月30日午後8時/ 12月31日午後6時、10時場所コエックス会議室お問い合わせ1577-3679 www.parkshinyang.com












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